An irregular Diary & Essay

IMG_0054.JPG

文章への思い。

僕は文章による表現も重要だと考えている。作品を作る時、頭の中では多くの言葉が渦を巻き、その言葉によって形や表現方法がどんどん変わる。
僕は思う。絵画や彫刻をX線のようなまったく異なる光線を当てると、全ての作品からその作家の言葉が浮かび上がるといったものを開発出来たら・・・と。様々な作品の表面をはがすと、きっと多くの言葉が存在しているのだろうと思う。それは、例えばこのHPの元となるコンピュータ言語がHTML言語で作られているように・・・・そんなイメージから、僕は自分の頭の中を廻る言葉を大切にしたいと思う。それが稚拙なものであっても、矛盾だらけのものであっても、僕自身の作品を構成しているものだろうから。
これより、日々の作品製作や生活の中で見たり感じたりした事を、ここに記して行きたいと思う。

16
作品集 108の煩悩

2014.12.27

By Len Makabe

makabe_hyoushi.jpeg


IMG_6642.JPG

このたび、KLIMT PUBLISHING から私の作品集がデジタル書籍として発売される事になった。
内容は、「HEAD SELIES」として造り続けていた作品の、36個の作品を全て載せている。
因に、このシリーズは仏教で言うところの煩悩の数、108個の制作を計画し、そのほぼ1/3の制作が終わったので、紙媒体の作品酒を造ってみようと原稿を作っていたものであった。

ちょうどそんな計画を立てていたところ、友人の馬場崎氏から連絡があり、デジタル版の作品集を出さないかとのお誘いをうけ、一も二もなくこの企画に乗っかった形で今日に至った。
どんな形であれ、作品集を世に出せる事は至極の喜びだ。編集上の多くの問題点を解決して行くたびに、その喜びが膨らんで行く。
また逆に、身が引きします様な、緊張感も増す。

IMG_6645.JPG作品の製作に関する社会的な責任と言う部分では、表現の自由を盾に、精神的なプレッシャーをはねのけて造れるのだが、それをマスメディアに党となると、いささかの「怖じ気」が首をもたげる
自分の言う事が、又は自分の表現が、社会に、人々にどのように受け取られ、評価されて行くのか、小さなアトリエの中で素材と向き合っている、きわめて個人的な世界から、大きく世に問う所行は、正に清水の舞台から身を投じる気持ちになる。

吉と出るのか凶と出るのか・・・?
何れにしても、何かの話題になればそれで良い・・こんな形で、この時代を表現しようとした彫刻家が居る事を、少しでも多くの人に解ってもらえればそれで良い。。。。
そんな風に自分を慰めながら、性懲りも無く新たな作品作りに向かっている。。。。。

IMG_0530.jpg


15
ニューヨーク 2014

2014.7.12 ~ 17

By Len Makabe

_MG_0135.jpg


IMG_1296.jpeg

友人の結婚式の出席と、作品を預けているギャラリーに表敬訪問をする事と、その後の久しぶりのお休みとして、フロリダの友人宅に遊びに行く事を計画し、3年振りにこのニューヨークの地に立った。
到着早々、妻の茶道関係で表千家のNY支部の稽古場に表敬訪問をし、お茶を点てて頂き、久しぶりのご挨拶に話しも弾んだ。

友人の結婚式は、マンハッタンのブロードウェーの10thと11th St.にある、歴史的な教会「グレース・チャーチ」で行われたのだが、アメリカの地元の教会の結婚式の厳かさに、いささかの感動を覚えた。
また、奇しくも東京の友人もこの同じ時期に、ニューヨークで結婚式を挙げる・・と言う事で、式には出なかったが、朝食を一緒にとろうと連絡をとり、結婚25周年を迎えた僕たちと、新婚夫婦との不思議な朝食会に時間も忘れて談笑をした。

その後、グランドセントラル駅から1時間の電車に揺られ、コネチカットはグリニッヂにあるギャラリー「ART TUCH COLECTION」に、預けてある作品のチェックと今後の作品の扱いや展覧会の在り方についての話し合いの為に訪れた。

_MG_0168.JPG作品「真夜中のメリーゴーランド」は元気に、ギャラリーの良く手の入った閑静な庭を眺めていた
ギャラリーオーナーのLim夫妻と、奥様のLillianさんの母上の美恵さんに大歓迎を受け、ご主人のジェフさんの手料理に舌鼓を打った。作品の貸出しに関する覚書をお互いに調印し、今後の展覧会の構想や夢を語り、楽しい時間もあっという間に夜が更けた。
しかし、元々平面を扱うギャラリーなので、立体作品の扱いに少々戸惑っている部分もあり、アグレッシブさに欠けるところが、作家の僕としては少々不満も残った。
今後のギャラリーの動静が気になるところだが、また新たなギャラリーの開拓も含め、米国での展覧会の開催企画を練って行きたいと強く思った。

IMG_0611.jpg結婚式は、トライアスロンのトレーニングなどでご一緒させて頂いている宮原さんのご息女の結婚に際するものだったので、ニューヨークで合流してからは、念願のブルックリンブリッジをジョギングで渡ると言うアトラクションを叶える事が出来た。
日頃、あまり運動をしていなかったので、マンハッタンの街中を走り抜け、ブリッジを渡る頃にはバテ気味で、所々歩きながらも、イーストリバーの川風に癒され、無事にブルックリンに足を踏み入れる事が出来た。
走行距離は10キロ前後だったが、実に気持ちの良い、そして念願のランが出来た事に大満足で、次のち、フロリダに旅立った。

IMG_0640.jpg


14
台北の展覧会

2013.11.18 ~ 23

By Len Makabe

_MG_9585.jpg


IMG_9406.JPG

台北の近代美術館における「後人類欲望(Post Humanist desire展」に参加して来た。
6点の作品展示依頼が、ニューヨークのギャラリーART TUCH COLLECTIONからあり、アーティストトークやワークショップも含め、1週間におよぶ初の台北滞在である。
美術館の対応も素晴らしく、この展覧会の企画と総合プロデュースをしたDr.陳明恵女史、細々とコーディネーションと調整を取ってくれた周璟筠さん、謝伊琳さんに感謝している。

この展覧会は、韓国、アメリカ、イギリス、カナダ、中国、オーストラリア、アイルランド、スウェーデン、日本など10カ国ほどの地域から40数名のアーティストが参加した未来的人類を思考する・・・事をコンセプトに、立体、インスタレーション、ビデオ、写真、パフォーマンスと言った様々なアート表現で提案しているものであった。
日本からは、残念ながら僕一人の参加だったが、世界にアーティストの輪が広がり、とても楽しい時間を過ごさせて頂いた。

_MG_9510.JPG特筆すべきは、ミュージシャンのヴィヨークがミュージックビデオで参加していたり、韓国の現代美術家の雀・吁嵐(チェ・ウーロン)の宇宙船の様なメカニカルな作品や、オーストラリアからPatrica Piccinini(パトリシア・ピッチニーニ)の幻想的でロマンチックだけどちょっと怖い作品、イギリスのKevin Ryan(ケビン・ライアン)の写真とビデオ、写真家のRitty Tacsum(リッティー・タスム)、同じくアメリカから、日本人の母を持つSaya Woolfalk(サヤ・ヲルフォーク)のインスタレーション、Elizabeth King(エリザベス・キング)のボールジョイント人形のコマ撮り映像など、才能豊かなアーティストの作品が展示され、年をまたいで2014年1月24日までの約1ヶ月強の展覧会だった

IMG_9454.JPG作品展示とは別に、アーティストトークや針金で人物像を造ろうと言うテーマのワークショップを美術館のイベントスペースで行ったが、老若男女を問わず20名ほどの人が来てくれて、楽しいひと時を過ごさせてもらった。
親日家の多い台湾の人々は、感性も日本人に近いのでは・・と思わせる所が多々あり、笑のつぼが同じであったり、思考のパターンの共通性が随所に見られた

ワークショップでの「針金で人物像を造ろう」と言うテーマでの作品製作では、3D=立体感覚や空間意識の確認は、参加者の皆さんは、実に素晴らしい才能を発揮し、作品の完成度は目を見張るものがあった。プラス、そこに新たに施す装飾は、全ての人々が共通して持ちえる共通言語表現が存在している事に気が付かされた。
それは、入れ子構造で、鳥かごの様になった頭部の中に、まるで脳をイメージする様な様々な装飾が施され、制作者の意図が明確になる。結果は、僕が思っていた以上の創意工夫がなされ、受講生達も楽しんでいた様で、充実した時間を過ごせた。

IMG_0832.JPG

今回の台湾訪問は、半分は観光旅行の様な楽しさを持って、台北の有名観光地の各所を廻ったり、長距離バスを乗り継いで、映画やアニメの舞台で有名になった「九扮(ジュフェン)」にも足を伸ばした。
故宮博物館の観覧は、中学生の頃からの夢であった。中華の至宝を見、味わうに着け、その大きさと深さには驚嘆させられる。
ただ、何処へ行っても大陸からの観光客が押し寄せ、大声を挙げて下品な観光をしているのを見ると、観光旅行を建前に、政治的圧力を感じてしまうのは僕だけだろうか?
嘗ては、日本の「農協」の観光団が、世界の観光地で傍若無人な振る舞いをして来た経緯を思うと、人の事は言えないとも思うが、近年の中国の拡大思考・路線を鑑みて、複雑な思いをした。国際性や民族の品格を身につける為の過渡期に有るとは理解しても、その恥ずかしさは一世代では消えない気がした


13
復興ロボット完成

2013.3.16

By Len Makabe

IMG_6303.jpg


IMG_6307.JPG

東北は、亘理町(わたりちょう)と言う3.11の被災地域がある。
仙台の南約20Km、被災地で夙に有名な相馬からも北へ20Kmと言う地域で、あまりニュースに取り上げられない所である。
しかし、他の地域と同じく、町の殆どを津波に持って行かれたところで、港や、その付近の住宅は壊滅状態にあった。
辛うじて町を救ったのは、町の中央を走る幹線道路で、それが堤防の役割を果たし、津波の進入を防いだのだった。

僕が顧問を務める「子供地球基金」は、そんなニュース取材から取り残され、救援物資が滞っていた亘理町の児童会館に、偶然にも縁が出来、渡邉れい子館長の指導の下、様々な援助を続けてきた。
代表の鳥居晴美女史は、すぐさまこの地にキッズアースホームの建設を決意し、空き家になった民家を買い受け、ボランティアの協力を得てリノベーションをし、素敵なホームを造り上げた。

ここでは月に1回のワークショップを行い、子供たちに絵を描いてもらって、その絵を様々な企業に協力を頂きながら商品化し、その売り上げで得られた資金を元に、また新たに救済を求めている子供たちに、お菓子、絵の道具、遊具、毛布などを調達して救済に当たっている。

IMG_6290.JPG今回の亘理町訪問は、ホームでのワークショップの一環で、僕がお手伝いをすることになり、折角彫刻家が行くのだから・・・と言う事で、立体の作品を作ろることになった。
何が良いかと考えていたら、ティッシュの入っている小箱を組み合わせて、大きなロボットを作ることを思い立った。
名付けて「震災復興ロボットを作ろう!」である。
このロボットの素材は、アスクル株式会社さんの協力を得て商品化されたキューブ型のティッシュを使い、それを積み上げて一つのモニュメント(ロボット)を作ることにしたものである。
様々な意味で、人間の限界を超える今回の災害復興は、優秀なロボットを作ることで人間の入れない所に行き、人間の力では足りない作業を代行してくれれば、大きく進展するのでは無いか・・・と言う僕個人の思いもあって、このテーマで子供たちに作ってもらうことにしたものである。

IMG_6291.JPG最初ははにかみながら、なかなか手の出ない子供たちも、親やスタッフの大人達が作り始めると、徐々にエンジンが掛かり、1時間もすると中学生達が構造的な自立を考えながら箱を組上げ、小さな子供たちは、紙コップに入っている塗料を選んで、思い思いの絵を描き始めていた。
子供たちは、大人の思いや思惑、復興への希望や利害など何処吹く風で、無心に作品を作っていく。自分の気持ちが動くままに、後先のことなど考えず、「今」の一時を表現する。そこには僕が考えた復興への思いや、未来への希望など無関係に、「今」を積み上げ、「今」を塗りたくった作品だけが存在しているのだ

そして、最後に、これは僕が一番心配していたことではあるが、全ての部品(腕、胴体、頭など)を順番に積み上げ、完成させた時の歓喜の声で締めくくられた。
一つのオブジェが出来上がり、自分たちのエネルギーを放出した子供たちは、直ぐさま、別のものへと興味が移る。

この後、妻の宗麟(美枝子)が点てるお茶を皆で頂き、「楽しかったぁ・・・」の感想を残して、蜘蛛の子を散らすように帰って行った。

IMG_6287.JPG

それにしても、復興とは名ばかりの状況が続いている。道路を隔てた被害の大きかった地域に一歩足を踏み入れると、海水に侵された土壌の改良のための土砂が山積みの状態で、かつての街は消えて無くなり、寂しく庭木だけが主の帰りを待っていた。



12
2週間の個展を終えて

2013.1.29

By Len Makabe

IMG_6174.jpg


IMG_6176.JPG

正直に言うと、この展覧会は辛かった。
自分に課した展覧会のあり方とは言え、14日間連続で、朝11時から夜8時までGalleryに詰めている事は、思っていた以上に過酷なものだった。ルーティーン化した生活が苦手な僕が、判で押したような生活をする事は苦痛以外の何物でも無い。
まして、最初の1週間で風邪を引き、3日間のお休みが有ったものの、この時間は風邪を治す事に専念したが、後半の日々ではその風邪がぶり返し、副鼻腔炎まで引き起こし、来廊の方々に対応するので精一杯だった。

しかし、ただ辛いだけでは無く、僕の人生の中では大きな節目となる展覧会でも有った。
自分の作品を説明し、そのコンセプトや秘められたドラマを語り続ける事は、予想以上に多くの方の共感を得られたし、そのゲストの感想や意見によって、僕の作品製作への新たな発想も生まれた。
IMG_6173.jpg今回の展覧会で特筆すべきは、お越し頂けないだろうと諦めながら出した案内に、芸大時代の先生が見に来て下さった事だ。日大時代の恩師故柳原義達先生や土谷武先生にも僕の人生を綴った作品を見て頂きたかったが、数年前に相次いでお亡くなりになり、実に悔しい涙を流した。
しかし、芸大でお世話になった先生方は、世代はぐっと若くなるものの、70歳を超えるも未だ現役で作品製作を続けておられる方々である。その先生方にエールを頂いた事は、この上ない嬉しい一時だった。
また、各方面での文化人の方々もお見えになり、異口同音おっしゃったのは、「作家自らの説明に感銘を覚えた。」「作品に込められたドラマにふれ、改めて彫刻の世界の奥深さを見させてもらった。」とのことだった。これは正しく僕の意図するところをお酌み取り頂いたもので、その意味でも今回の展覧会は成功裏に終わったと言えよう。

IMG_0117.jpeg

御来廊頂いた方々の中には、今回の展覧会の告知量が少ないとご指摘頂いた方が少なくなかった。
もっと沢山宣伝すれば、もっと多くの方に見て頂けたのに・・・と反省を促されたのだが、この展覧会のもう一つのCONCEPTに、最も親しくしている方々にこそ、僕の今後の作品製作のあり方を理解して頂く・・・と言うものがあった。Face to Faceの作品説明を行う上で、キャパシティーオーバーの弊害を強く懸念した僕は、少人数でもきちんと理解して頂ける方々を大切にしたい・・・と考えた。
折角来て頂いたお客様に、きちんと説明出来ずにお帰り頂く事はもっての外で、また今回告知した方々は以前から親しくしている方々ばかりで、僕の生活や製作活動の、言わば「核」になる方々で、物心両面で理解頂いている人々なのである。
がしかし、僕の仕事は朧気に分かっていても、最近の僕の表現活動を系統立てて見る事は無かった人ばかりでもある。
今回は、そうした方々にこそしっかり見て頂き、僕の作品に対する考え方や、今後の展開のあり方を知って頂く為の絶好の機会だと位置づけた。
なので、風呂敷を大きく広げる事無く、御来廊頂いた方々お一人お一人に、理解を求める事に専念したかったのである。
そして、これを機に、今後行われるであろう展覧会や発表もこのスタンスを守り続けたいと思った。
多くのご声援を頂いた事で、自分の歩んできた道は大きく外れる事無く、今後もこのまま歩んでいけば良いのだ・・・と深く心に刻んだ展覧会だった。

IMG_6204.JPG


11
20年ぶりの個展

2013.1.1

By Len Makabe

IMG_5679.jpg


IMG_0015.JPG

正確には18年の歳月が流れた。
確か1995年頃、銀座のギャラリーで「龍宮」と題した個展を開いたのが最後だったと記憶している。
それ以来、ずっと個展をやりたいと思い続け、ここ数年はその為だけの作品製作に没頭してきた。僕の人生でこれだけ一つのスタイルに拘って、売れもしない作品を作り続けたことは、嘗て無い。
見方を変えれば、それだけ作品のスタイルが確立されてきたと言えるし、哲学的な志向が強くなった結果だとも言える。まだまだ精進の途上では有るものの、テーマを煮詰め、表現方法がぶれないでいられると言う事は、一つ一つの作品に対する深度が深まるということのような気がする。
作品を作る度に自分なりの進化を感じられ、新たなスキルは次の作品の表現に反映されて行く。
今回の展覧会は、そうした進化の過程が見える形で、自分のお気に入りの作品9〜10点を展示し、皆さんに見て頂くのと考えた。同時に、自分も毎日その作品達と対峙しながら、改めて自分を見詰め、内観を深める良い機会と捉えている。
IMG_6070.jpgところで、今回の展覧会の会場は、実はギャラリーでは無く、どちらかと言えばフリースペースのような空間である。友人で有り、後輩でもある若手建築家上領大祐氏とその仲間達の手による建物で、ユニークな発想から建てられた、テナント募集中の賃貸オフィスビルの一室を借りるのである。
恐らくは、何とも不思議な展覧会となるだろう。何も無いがらんとした空間に作品を置き並べ、照明もスポットライトなどでは無く、単なる工事用の電灯で、手作りの看板、手作りの台座に作品を乗せて展示する。

また、何の因果か、この渋谷の神宮前は、今の僕の僕の生き方の原点になった場所である。妻との生活を始めた場所で有り、現在のアート表現に至る初期の頃の作品を作り始めたところでもある。
以前に比べれば、大きく様変わりしてしまった街だが、その空気感は良く覚えており、そんな場所で作家として新たなスタートを切れる幸せを痛感している。

IMG_0020.JPG
ここでは、半分修行の様なつもりで、開催中は全日ギャラリーに出てお客様をお迎えするつもりでいる。
自分の展覧会の開催を真摯に受け止め、来てくれた全ての人に自分の言葉で作品の説明が出来るようにとも考えている。

   会場は・・・

東京都渋谷区神宮前6-12-9
block house B1F
※前述のように、この会場はギャラリーでは無いので電話やメールでの応対が出来ない。
ご質問などがある場合には・・・・・・
眞壁廉の携帯電話:090-6178-3882
E-mail:len-m@office.email.ne.jp

   会期は・・・

2013年1月7日(月曜日)から23日(水曜日)まで
11:00 am ~ 8:00 pm OPEN
※但し、13日、14日、15日はお休みを頂きます。

IMG_3336.JPG


10
カシオペア映画祭

2012.9.29

By Len Makabe

IMG_5667.jpg


IMG_5653.JPG

石神の丘美術館の芸術監督 斎藤純さん(作家)に誘われて、盛岡から新幹線と在来線を乗り継いで一戸にある小さな映画館で行われる映画祭に行ってきた。世界で最も小さな映画祭だが、その内容はとても斬新なもので、一人の役者や映画監督の作品3本続けて映写し、その人を招いてトークショーが開催されるのである。映画祭の名は「カシオペア映画祭」。一戸にある、日本最古の映画館「萬代館」で一夜だけの映画祭である。
今回は、宇崎竜童さんを招いての、「ザッツ ダウンタウン・ブギウギ・バンド」「TATOO(刺青)あり」「オリオン座からの招待状」の三作を上映。その後宇崎さんが登場してトーク&ライブ演奏もあり、実に盛りだくさんの内容だった。
僕は数年前に宇崎邸のアートワークを手がけた関係で、斎藤純さんが「眞壁さん、突然現れて宇崎さんを驚かせましょうよ。。」との企みに乗っかって、はるばる一戸にまでやってきたのである。
しかし、斎藤さんに二戸(ホテルは二戸にとった)や一戸を案内してもらい、手つかずで朽ちようとしている多くの文化遺産が多いことに驚くと共に、日本の原風景のような世界の広がる東北の、様々な文化が風前の灯火である事にじくちたる思いを強く持った。
IMG_0627.jpgしかし、そんな思いも、この映画祭の実行委員長である富田圭さんにお会いした時、一つの光明を見た気がした。この市民ボランティアで組織された「カシオペア映画祭」は手作りの素朴なぬくもりがあり、子供の頃に胸を躍らせて見に行った、映画の思い出を甦らせてくれる木造モルタルの映画館の雰囲気も手伝って、受け継がれた文化や遺産を大切にし、未来に受け渡していこうとする新たなプレゼンテーションのあり方と、はっきりとしたコンセプトが見えるのだった。
この萬代館は映画祭だけでは無く、コンサートや寄席など、様々なイベントに利用しているようだった。

映画は、電車の関係で、僕と斎藤さんは遅れて参加し、「TATOO(刺青)あり」の最後の方から見る事となった。
三作目の最後の「オリオン座からの招待状」は、まったく意識していない映画だったが、こんなに泣ける映画があったのか・・・と思えるほど良い映画だった。和製「ニューシネマパラダイス」である。日本映画を見直した。そして、この映画もクライマックスに近付くと、映画の中で舞台になっている「オリオン座」が「萬代館」とオーバーラップして臨場感が増し、描かれる人間模様に目頭が熱くなる。
観客全員が同じ気持ちだったのだろう。あちこちで鼻をすする音が聞こえ、それが会場に響く。IMG_5664.JPG
こんな経験は久しぶりで、館内が一つの感情でいっぱいになるなどここ数十年無かった様に思う。場内が一つの感動でいっぱいになる・・・その昔の映画館では、ごく当たり前な風情だった。

映画が終わると、舞台の設えを変え、いよいよ宇崎さんの登場だ。映画製作の現場の裏話や、映画の試写会、皇室の来臨などの話をされ、大きな笑いを誘っていた。役者としての映画の関わりと、ミュージシャンとして主題歌やBGMの製作に携わった経験を存分に話されていた。一度話が始まると、ギターを持ちながら話に夢中になり、2時間ほどのトークライブは、映画音楽を4曲歌うのみで、もっぱら映画の話に終始していた。

トークライブが終わると、地元の郷土料理などが出て来て、同じ舞台の前で酒盛りが始まった。
僕はいの一番に宇崎さんの元に行き「お久しぶりです・・お宅の新築の節にはお世話になりました。階段の手摺りは問題ありませんか?・・」と挨拶をした。彼はちょっとビックリしながら「あぁ〜、みな問題ありませんよ。・・・」と懐かしそうに話が始まった。
今回僕が現れた経緯を簡単に話し、斎藤さんを紹介して、郷土料理を突きながら多岐に渡る話に花が咲いた。

IMG_5662.jpg


09
未来の溶接面

2012.9.28

By Len Makabe

IMG_0615.jpg


IMG_0614.JPG

時代は変わった。進歩した。
金属加工の世界でも、僕たちが学生の頃は、溶接面もくすんだオレンジ色の厚紙で出来た、黒い硝子の板がはめ込まれたものだった。溶接する箇所を面を外してしっかり確認し、その後スパークした溶接箇所を見ないようにして、4X10cmほどの小さな硝子窓から、溶接のうっすら見える光と、ほとんど勘を頼りに溶接を行うのである。
しかし、最近買い求めた溶接面(上の写真右)は、フルデジタルでスパークを感知し、デジタル液晶遮光のファインダーで溶接をすることが出来る。
液晶遮光ファインダーは電気で作動するが、この電源もボタン形のリチウム電池が装着されているものの、基本的には溶接の光などで作動するようになっている。つまり、このファインダーの上、又は下の部分に太陽電池が組み込まれている。
このデジタル充電式溶接面は、今回の買い換えで四代目になる。
初代は緑色の半透明アクリルでフルフェイスになっているお面に、一部分のリチウム電池式の遮光ファインダーが着いていた。このタイプは直ぐに電池が無くなり、スイッチを切り忘れることも多々あり、経費がやたらと掛かった。
二台目からは太陽電池が付いているものになり、飛躍的にファインダーの寿命が延びた。
三台目、四台目は上の写真にあるように、外見からもその違いが分かる。左の溶接面には明るさを調節するコントロールつまみが付いている。右のものは、そう言ったつまみになるようなものが一切無い。
見事にアナログからデジタル化にシフトした最新の溶接面である。
今後こうした道具はどのように進化するのだろう。

また、以前のお面のカラーは黒やグレーが主流で派手なものは一切無かった。しかし、近年様々なカラーリングを施した製品が出て来た。因みに僕の求めたものは、リアルカモフラージュと言われるテキスタイルで、この模様はカモフラージュデザインであるが、戦闘用途のカモフラージュでは無く、最近ナチュラリストやハンターなどが好んで使用するようになっていると言う。
動物目線で、ステルス性に特化したデザインらしい。これを教えてくれた友人は「これをかぶって林の中を歩かないで下さいね。首の無い人が歩くことになっちゃいますから・・・」と言っていた。


08
氏神の祭り

2012.9.22

By Len Makabe

IMG_5636.jpg


IMG_5630.JPG

いつからこんな祭りを祝うようになったのだろう。。。。
僕等が中学生の頃の、我が氏神様のお祭りは、こんな立派な設えはなく、もっぱらテキ屋の露天が闊歩し、境内を所狭しと営業していた。さしずめ、神社で行うのみの市のようであった。
現代のような遊具施設の整った自動公園なるものが無い時代、この神社は、僕等この地域の子供にとってのオフィシャルな遊び場だった。適度に踏み固められた境内は、安全なグラウンドだったし、太く大きな二股の樹はV字形をしていて、身長に応じて高く上れる、天然のトレーニングマシンだった。社殿の床下は蟻地獄がいて、コンクリートで固められた犬走りはメンコやコマの競技場だった。小さな池の中には亀、金魚、蛙などがいて、自前のおとぎ話の世界が広がり、笹の原は大人の世界を垣間見る異界への入り口だった。
IMG_5635.jpgそんな神社のお祭りは、夜の遅い時間でも同級生に会える不思議でエキサイティングな世界で、夜店の白熱灯に照らされるクラスの女子達が、妙に大人びて見えたりしていた
演芸用の舞台では、老人会の踊りやのど自慢程度の出し物(これは今でも同じ)がメインで演じられ、大太鼓を打って祭りである事を知らせるだけの、イベントとしてははなはだ盛り上がりに欠けるものだった。
しかし昨今の祭りは、どこから出て来たのかお囃子用の山車があり、飾り気の無かった大太鼓が絢爛豪華に様変わりしている。これは現代の「祭りブーム」が成せる業なのか?
祇園祭や三社祭のように、どこからともなく人が集まり、大騒ぎをして消えていく・・・そんな将来を想像してしまうのは僕だけだろうか?
つい30年ほど前には、こんな立派な山車や太鼓は無かったし、大勢で同じはっぴを着た人はいなかった。この神社の歴史の中で、こんな文化遺産にもなろうかと思える山車や太鼓が何処にあったのだろう?
立派なお祭りが出来るのはいいが、これが単なるブームだとしたら、将来にずいぶん高いつけを払わされるような気がして心が曇る。
でも、神社の太鼓がドン・ドンと打ち鳴らされると、つまらないと分かっていても一度は見に行きたくなってしまう夏祭りである。

IMG_5633.jpg


07
誕生日

2012.9.17

By Len Makabe

IMG_0581.JPG


IMG_0578.jpg

9月になると慌ただしくなる。自分の誕生月である事もだが、最近周りで9月生まれの人が多くなってきている。子供の頃は、同じ誕生日の友人が一人だけだったのだが、最近では3人に増えたし、二人目の孫娘も3日違いで誕生している。
我が息子達も、僕の誕生日を祝ってくれて、次男坊は「クレイジー・ケンバンド」のコンサートチケットをプレゼントしてくれた。本人がクレイジー・ケンの大ファンである事も有って、鬼気としてサプライズ企画を練ってくれたようだ。お陰で、僕と妻は、久しぶりに「昭和な世界」に浸れた一夜となった。そう、クレイジー・ケンの音楽は、正しく僕等が生まれ育った昭和の時代を表現している。
とは言え、昭和という時代は太平洋戦争の終戦を境に二つの時期に分けられるだろう。当然僕たちは後期の昭和に生まれ育った。高度経済成長と、バブル経済を体感し、日本が最も面白い時代にその多くを体現し様々なものを吸収し成長した。だから、よき時代の日本の申し子だと言える。
クレージー・ケンの音は、そんな昭和な僕たちにノスタルジーと後悔と励ましをプレゼントしてくれる。このコンサートに来ていた客が、50代以上の白髪が目立ったのも頷ける。
IMG_0594.JPG翌日は、我が家で長男一家がやってきて、二番目の孫娘と二人の合同誕生日Partyを開いてもらった。我が家定番のアップルパイに蝋燭を立て、今年はこの孫を先抱えながらの♪ Happy Birthday ♪だった。
僕の50数年間と、この子の未来の50年は、いったいどれだけの違いがあるのだろうか?こうして家族で誕生日を祝う・・などという風習は残っていつのだろうか?
人が幸せを感じる時とは、こうした一時なのだろうと思うのだが、その「幸せ」の感じ方も微妙に変化してきている現代にあって、未来に目をこらした時、そこにはどんな「幸せ」が存在し、どんな音楽が時代を表しているのだろう。。。。

IMG_0596.JPG


06
子供たちの手垢

2012.8.19

By Len Makabe

use_UMISHIKA2012-R.jpg


IMG_3764.JPG

先月から行われていた作品「ウミシカ」のリニューアル塗装と修理が完成し、この日サインを入れに岩手町の石神の丘美術館に行ってきた。美術館では、せっかく作者がサインを入れに来るのだから・・と、子供たちに声を掛けて、夏休み最後のアートイベントとして「ウミシカ物語」の披露と、その後に「ウミシカのセルボの仲間を作ろう」という粘土教室も併せて開催することになった。子供たちは30人ほど集まってくれて、賑やかなお披露目となった。しかし、彼らは作品を見るなり、あっという間にウミシカを取り囲み、べたべたと手で触りまわるのである。大人たちは作品に触れることをいぶかしがっていたが、僕は彫刻作品は、本来触ってみるものだ・・・と話して子供たちの自由にさせた。
地元の新聞社も来て取材もしてもらい、ウミシカが再び多くの人々に知って貰える切っ掛けとなり、名実共に甦った感じがした。
IMG_3755.JPGウミシカをみんなで見学した後は、美術館の敷地内にある工房棟に移り、そこで「ウミシカ物語」の紙芝居を見て、その後自分たちで粘土をいじり、ウミシカのセルボの友だちを作る・・と言う造形教室を行った。
子供たちは、最初の内はどう作って良いのかが解らず、悶々としていたが、事前に学芸員の女性たちが作っておいた様々な海の生物を参考に、徐々に創意工夫をし、楽しいキャラクターがいっぱい出来た。
願わくは、こうしたことから地元の人々に深く知られ、この物語が多くの人々によって、続編が作られ、新しい物語を紡いでいって欲しいものである。

IMG_3780.JPG


05
作品製作の源流は・・・

2012.8.3

By Len Makabe

c2f378fd4a671dce8216c7aefff1a43c.C282.JPG


今井滋氏撮影SN3R0001.jpg

7月14日(土) もうかれこれ1ヶ月近く前になるが、仙川にある桐朋学園の「薄暮の会」という校長先生や現役の先生、在校・卒業生のお父さんたちの集まりがあり、縁あってそこで自分の作品やその作品が出来るまで・・のお話しをする機会に恵まれた。この会は、月1回の定例(女人禁制)会があり、各界の著名人や有識者を迎えて様々な話しを、お酒を飲みながら聞くというユニークな会である。
僕はお茶会を企画する中で、この会の主催者の佐藤晃一先生と知り合いになり、今日の日を迎えた。
このような本格的に自分のことを話す講演は初めてで、PowerPointで講演資料を作り、最新作の「ハムレット」を持って、仙川の桐朋学園に向かった。
講演内容は、最新作品の現物を見て頂き、その作品が出来るまでにはどのような人生があったか・・・と言う流れで時間を遡り、様々な空間プロデュースやアートワークの話しをし、ディズニーランドの製作物、市川学園の教師生活などをかいつまみ、メインの北朝鮮怪獣映画「プルガサリ」の映画制作秘話を披露した。
何故この様な話の展開にしたか・・・と言うと、自分の今の作品の製作に対する姿勢や基本的な考え方00380783_2.jpgが、「プルガサリ」のプロデューサー申相玉(しんさんおく)監督との出会いにあったからである。
監督は、韓国の黒澤明・・と呼ばれ、朴政権下で活躍をされていたが、体制への批判をするようになり、やがて映画が作れなくなっていく。そんな中、妻の雀銀姫(チェウニ:女優)さんと共に北朝鮮に拉致され、金正日の元で映画制作を続ける。その監督夫妻は、僕たちがプルガサリを撮り終えると間もなく、プラハの米国大使館に駆け込み米国への亡命を果たす。
そんな数奇な運命の中、監督は常に自らの表現活動を諦めず、相反する体制の下でもしっかりと作品を残してきた。北朝鮮では、彼の周りには一人も信頼の出来る人はいなかった。「私の周りは、みんな敵なんですよ・・」と語っていた監督との出会いは刺激的で、若かりし僕には偉大なる目標になった。
惜しくも監督は2006年4月に逝去されたが、氏の人生の一瞬を垣間見た僕には、その偉光が未だに輝いている。

04
ウミシカの流浪

2012.7.10

By Len Makabe

IMG_0496.JPG


IMG_3667.JPG

「セルボは海の精によって水の中に住める形に変身し、ウミウシとカモシカの合体幻想動物となって、母に会える日まで、海の仲間と楽しく暮らしました。。。」とは、1994年に製作したこの作品「ウミシカ」と共に書いた「ウミシカ物語」の最後のシーンだ。この作品は、岩手県岩手町にある「石神の丘美術館」の開館一周年記念のために作ったもので、この彫刻公園に住むカモシカの親子をモチーフに、山の文化と海の文化の融合をテーマに考えたものだ。しかし、この彫刻公園の存続問題が、町の政治的混乱の中で浮上し、この作品は一時的に行方不明になった。・・・と言うか、僕の方でこの作品のコンディションが把握出来ない状態が続いた。しかし1ヶ月前、この美術館の学芸員の女性から修理に関する打ち合わせをしたい・・との連絡があり、18年ぶりに自分の作品と再会した。
ウミシカのコンディションは所々亀裂が入って表面の塗装や樹脂が剥離し始めていたり、プラスチックが割れて水が入り、鉄骨のさびが流れ出したりしているが、大きな修理をするほどの事も無く、少し安心した。リペアーが完成するのは8月中旬の予定。
それにしても、アート作品とは何と脆弱な存在なのだろう。美術館やその運営母体の胸先三寸で、作品は何処へでも飛ばされる。流石にお金を払って買ったものならば、産業廃棄物にこそならないだろうが、一度作家の手を離れると、それこそ放蕩息子のように音信不通になる。18年ぶりに再会した我が子は、思いの外元気で、この岩手町の人々に愛されているようで安心した。

03
日本の美(三井の凄さ)

2012.7.4

By Len Makabe

IMG_3644.JPG


IMG_3634.jpg

今日は、薄暮講座(桐朋学園女子の校長先生や父兄による男だけの勉強会)の数人の方々と、小金井公園内にある江戸・東京たてもの園の中の「三井八郎右衛門邸」を主に見学する会に参加してきた。この日は、茶室建築家の西大路雅司氏による「日本建築の美を探求する」講義のイレギュラーな集まりで、僕たちの前に2〜30人の学生を講義しているところをぶら下がり参加した格好である。そしてこの三井邸・・・やはりその贅の尽くし方は凄い。壁の模様は、部屋や廊下の部分部分で模様を変え、その模様も漆喰壁にステンシルで模様を入れたり、ヘラで銀泥を塗りつけたり、ハンコのようなもので模様を描いている。照明もラリックの特注のようであったり、襖の板絵にも当時の日本画家の繊細な鳥の絵が光っている。天井にも、柱にも、引き手や釘隠にも、様々な工夫がされている。およそこれ以上のデザインや技術は盛り込めないだろう・・・と思えるほどの、センスとテクニックの見本帳のような建物だった。「いったいいくら掛かったのだろう・・?」と思わず下世話な算出をしてしまう。その建物の見所を、細かいところまで説明下さった西大路さんに感謝したい。今の時代には、こうした贅の尽くし方は出来ないのだろうか?

02
電気代は何故上がる?

2012.7.3

By Len Makabe

IMG_3616.JPG

金属彫刻家になった理由は、子供の頃は父の後に続いて油絵画家になろうと思っていたのだが、高校生の頃、彫刻を学んでみろ・・と父から言われ、柳原義達先生に師事するべくその道に進んだ。しかし、そんな大義よりも現実的には、油絵などの絵の具代より、彫刻の使い回しの粘土や型取り用の石膏代の方が安上がりだろうと、学費の材料代を浮かせるために彫刻の勉強をしたような気がする。
ところが、大学の時に土谷武先生から鉄の作品製作を学ぶと、すっかりその造形の面白さに魅了され今日に至っている。何故金属彫刻など、材料代やその経費の掛かる表現方法を選んでしまったのか・・・?今更ながら、自分の人生判断のいい加減さに悶々とするのだが、それにしても腹立たしいのが電気代の値上がりである。原発の再稼働問題も含め、自分の作品製作の生命線である電気代が、無秩序に上がっていく事、その時の気分で東電の連中が値上げているのでは無いか・・・と思えてしまう不条理に我慢がならぬ。

01
新しいHPの完成と、虚しさと・・・

2012.6.25

By Len Makabe



今までのHPを一新し、新たに購入したHP制作ソフトによって、まったく別世界のギャラリーを作る事が出来た。HPに因って、世界に広がる新たな表現と理解が取りざたされている昨今だが、果たしてこのHPが、僕にとって起死回生のソリューションとなるか・・・?1週間をかけて、ベタに張り付いて作り上げたHPである。多くの人に見てもらいたい・・と切に思う。それにしても、昔から、多くの写真を撮っておいて(多くの友人の協力を得て)良かったと、今更ながら思う。
個人的に製作された作品は別としても、商業空間などのデザインやアートワーク作品はずいぶん失われた。このHP編集で、改めて過去の作品達と向き合い、自分の放った膨大なエネルギーに驚きと共に虚しさも覚えた。
さて、これからどのような言葉が廻るのだろう。。。。。



ページトップへ
ページトップへ

Diary & Essay INDEX

LinkIcon16 作品集 108の煩悩
LinkIcon15 ニューヨーク2014
LinkIcon14 台北の展覧会
LinkIcon13 復興ロボット完成
LinkIcon12 2週間の個展を終えて
LinkIcon11 20年ぶりの個展
LinkIcon10 カシオペア映画祭
LinkIcon09 未来の溶接面
LinkIcon08 氏神の祭り
LinkIcon07 誕生日
LinkIcon06 子供たちの手垢
LinkIcon05 作品製作の源流は・・・
LinkIcon04 ウミシカの流浪
LinkIcon03 日本の美(三井の凄さ)
LinkIcon02 電気代は何故上がる?
LinkIcon01 新しいHPの完成と・・・




FacebookLinkIconFacebook へ・・・・


090224len_03.jpg





090224len_09.jpg