1988年頃から製作を始めた「The HEAD SERIES」は、今では毎日手をかけ、製作を続けているライフワークになっています。
僕は、恐らく、自分の作品製作のスタイルが、未来の歴史的アート表現のカテゴリーでは、最後の時代の表現者になるだろうと考えているので、そんな強迫観念が製作を続けさせているのだろうと思います。
自分の知る人々、自分に関わる動物や植物などを、深く観察して写し取り、それらを再構成して、様々な意味を込めて超現実的に表現する事を続けています。
本ページでは、シリーズの最新作を、コンセプトと共に順次載せて行きます。
古い作品は「LifeWork Archive」に納めてあります。

2011年7月から2015年12月までに製作の作品を紹介。






dimension : 490X465X580

mm
production date : November 2015
note :


 敬愛してやまないパーカッショニストYas-Kaz SATO氏をモデルに製作した作品。
 彼の音楽を聴いていると、熱帯の密林を徘徊している自分を想像してしまう。湿度の高いジャングルの中で細かい霧のような雨に見舞われて、全身がびしょ濡れになっている自分が常にそこにある。それが氏の奏でる音に由来するイメージだとも言えるが、氏の操る楽器が世界の民族楽器のそれで、バリやベトナム、タイやスリランカ、アフリカや北欧のそれで有るためだとも言える。それらの楽器の音色はエキゾチックであり、プリミティブであり、エスニックである。
 氏は、舞踏グループの山海塾や、その他の多くのパフォーマーの舞台音楽を手がけ、様々な映像にもその独特な音楽表現を添えている。
 西洋の叙情詩的な音楽性とは異なり、深く計算されながら即興的な音楽の展開は、自分がアジア人である事を意識させ、もっと言えば、人間の深層に眠る感性に訴えかけて来るものが有り、文明の殻を脱ぎ捨てた裸の自分を意識させられるのである。
 彼の奏でる音のシャワーは、大小の葉に集められ、自分の身体はそこから滴る水滴によって溶かされる。やがて水滴に溶かされた身体は、大地に同化していくような感覚に陥る。
音の振動波は、自分の中の知らない細胞を眠りから目覚めさせるのだろうか?







dimension : 470X380X630

mm
production date : October 2014
note :


 彼女と初めて会ったのは大学生の頃、屋内スキー場のスキーパーティーだった。よちよち歩きで、あれが出来ないこれが出来ないと我が儘ばかりを言っていた。
 二度目に会った時、彼女は東京芸大を卒業の後、リスト音楽学院の留学も終え、リストを弾かせたら日本の女性では右に出る者がいないほどのピアニストになっていた。
 初めて本格的に彼女のピアノを聴いた時から、私は彼女のファンになり、多くのリサイタルやコンサートに顔を出すようになった。また、彼女も私の展覧会には良く来てくれていた。しかし、その内お互いの住所の移動から連絡が取れなくなって行った。
 三度目の再会を果たした時、彼女は結婚し、男の子を出産していた。お嬢様育ちの彼女も、音楽の世界では多くの苦労をし、良縁に恵まれて息子を育てるうちに、初めて会った時の我が儘な女性から、人間的にも成長した素晴らしいピアニストに変貌を遂げていた。
 母になって人格もまろやかになり、彼女の息子は彼女の紡ぐ音楽にも影響を与え、留学直後の挑戦的なものから、音を愛おしむ様な表現に変わり、舞台の上でも優しく、様々な音楽のエピソードを語りかける女性になっていた。彼女のライフワークとして「母と子の為のコンサート」は、音楽会のタブーとされている乳幼児の来場を奨め、妊婦の胎教を考えたリサイタルにも尽力している。
 そんな彼女は言う、「私は音楽家ではなく、アスリートよ。」と。ピアノの練習以外に、筋トレをする彼女の体形は20代の頃から変化せず、力強くピアノを弾く姿も変わらない。
 私は、いつの頃からか、そのしなやかで筋肉質な背中を作品にしたいと考える様になっていた。






dimension : 230X310X520 mm
production date : April 2014
note :


 先生は、20年ぶりの僕の展覧会に、杖をつきながらやって来た。そして、画廊の扉を開けるや「おまえは誰だ?!」と言った。
 恐らく自分の展覧会などに来てくれはしないだろうと思っていたので、その突然の訪問は驚きであり感動であった。しかし、開口一番の挨拶がそれである。いささか拍子が抜けたが、東京芸大での自分の存在感は、そんなものだったのだろうと思う。
 先生は、東京藝術大学の金属彫刻コースの創設者である。塑像、石彫、木彫に並び、素材表現の一翼を担うコースであるが、その様な教室を開設したのに、その待遇は冷遇に等しく、当時の学生達にも不満を口にするものが少なくなかった。
 日本の美術界の派閥や因習に囚われることを嫌い、自由に生き作品を生み出すことが先生の生き方だったが、それは自らに清貧の苦難を強いるものでもあった。
 東京芸大彫刻科の大きな過渡期に学び、新たな表現として当時では珍しい金属彫刻に深く精通し、多くの彫刻家を育て、蛮カラを標榜した先生は、すでに78歳になった。大病を患い、思ったような作品が作れなくなった今、多くの作品と共に千葉のアトリエで、絵を描く毎日を送って居られる。
 先生の顔を作りたいと申し出たところ、快く了解して頂き、取材の日、小雪の舞い散る寒い日にもかかわらず、わざわざ駅まで出迎えて下さり、杖を突き仁王立ちになって僕を待っておられた先生の姿が印象的だった。






dimension : 250X290X540 mm
production date : November 2013
note :


 彼女は子供たちに描いてもらった絵を様々な企業と関わって商品化し、新たな支援を世界に向けて行う基金を設立した。判断力の早さと、人並み外れた行動力で、小さいながらも名の知れたNPO法人に育て上げた。心も体も休まること無く、彼女の内に巻き起こるパッションに突き動かされ、彼女は世界を飛び回る。
 彼女の強烈な個性は、時には周囲の誤解を招く。自らの使命を強く持てば持つほど、周囲との軋轢が生まれ、彼女の思いは空を舞う。歯に衣着せぬ物言いは、多くの人を傷つけもするが、彼女の行動は、多くの人を助けもする。
 人の理想や使命を、第三者の理解に求めることの難しさを、彼女の後ろ姿は語る。
 しかし、人々の思惑や批判には目もくれず、自らの気持ちと使命感を力に、彼女は自分の思う理想の世界に向かって突き進む。それは、まるで何かの強迫観念に因って突き動かされているように見える。
 彼女の姿を見ていると、歴史とはこうして作られていくのでは無いかと思える。何かの強いパッションによって人々は動き、歴史が作られていく。子供たちの絵が児童心理分析でしか語られなかった時代から、世界を変えようとする力に変化させる努力を、彼女は四半世紀も続け、子供たちの絵の潜在的パワーに人々の注目を集めた。
 彼女の内なる強迫観念は、こうして歴史の扉を開いた。






dimension : 220x220x540 mm
production date : June 2013
note :


 彼は天才的なドラマーである。彼らのエクスペリメンタル ロック バンド(Experimental Lock Band)”Battles”が奏でる実験的でアブストラクトなサウンドは、耳障りな雑音のようにも聞こえるが、実はとても暖かく懐かしい世界観を持っている。
 世界中にファンを広げている彼らだが、おごること無くその音楽への姿勢は謙虚で人間的だ。
 僕が彼のドラムに魅せられたのは、その音楽性もさることながら、彼の舞台でのドラムを叩く時の姿勢だ。ドラムを叩く前に、彼は必ずスネアドラムの上にスティックを2本縦に並べ、頭を下げて精神統一をはかっているようである。その姿は、まるで僧侶が祈りを捧げる様な姿でもあり、精神統一をはかる武術家の様でもある。演奏のはじめに毎回行われている彼の「祈り」は、舞台袖や二階の特別席から目をこらして居ないと見る事は出来ない。
 しかし、いったんドラムを叩き始めると、この世に存在しない何かに操られる狂気の傀儡人形となり、ドラムを叩く早さは神業の如く音の洪水を観衆に浴びせかける。彼のドラムから叩き出される32ビートは、最初から最後まで演奏の根底を支えている。
 演奏が終わり、舞台から降りた彼の歩いた跡は、まるで海に落ちた男が船の廊下を歩いているように汗が滴り落ち、汗の足跡が付いていた。






dimension : 330x326x500 mm
production date : May 2013
note :

 彼は宇宙の深淵を見てきた。
 彼は言葉を失い、体の自由も奪われたが、アインシュタイン以来の天才理論物理学者として希有な存在である。目の動きだけで電動車椅子を操り、自分の見てきた宇宙をボイスマシーンで語る。彼の意識は何万光年もの彼方にある宇宙の果てまで飛んで行き、その世界を見てきた。そして、その様子を私たちに語る。
 星の誕生と死を、宇宙の盛衰を、握り拳二つ分ほどの彼の脳は理解する。
 頭蓋の中の小さな小宇宙が、計り知れない広大な時空をその中に納めてしまっている事に、僕の興味は尽きない。そして、所詮僕たちは宇宙の塵からで来ている・・・と知らされる。
 作品の頭頂部には自作のPLANETARIUMの模型が着いている。
 7歳の頃、近所に住む年下の天才少年が、ボール紙で作ったPLANETARIUMの模型を見せてくれた。中に豆電球が仕込まれ、モーターで自在に動く精密なものだった。その時の感動が、H博士の宇宙観に触れたことで甦った。






dimension : 200x230x617 mm
production date : April 2013
note :

 その人は僕のトライアスロンの師である。
 歯科医を生業に、地域のスポーツ振興、トライアスロンの普及に尽力をし、多くの若手アスリートからも尊敬を集める人である。
 彼は、トライアスロンの師であると同時に、僕の作品の良き理解者でもある。偶然にも小学校教師をしていた父の教え子であった事も手伝って、僕の作品を理解して貰える間柄となり、氏の病院の改装もデザインしたり絵を描いたりした。
 彼は、スイム、バイク、ランの3種目を競うトライアスロンの中で、ランが一番好きだと語る。走る事に対して、半ば哲学的な世界観を有し、毎日走り続けている。僕は近くの公園の木漏れ日の中で走る彼をよく見る。
 彼が何故そこまで走り続けようとするのかは分からないが、走る事に何かの目的がある訳ではなさそうだ。また、走る事で自分に何かを課しているという訳でもなさそうだ。
 走る事が自分の生きる事であるかのように、走る事そのものが自分の呼吸であるかのように、ただひたすら走り続けるのである。
 或る若者が、「辛い思いをして走るマラソンのゴールの先には何があるのでしょう?」と彼に聞いた。すると、「ゴールの先にはビールがあるだけさ。」と笑った。







dimension : 250x280x520 mm
production date : December 2012
note :

 妻は回転木馬が好きだ。
 子供の頃から好きだったようで、未だに遊園地でこれを見ると乗りたがる。なぜこのくるくる回るだけの遊具が楽しいのか、僕には分からない。
 妻との初めてのアメリカ旅行でLAに行った時、ベニスビーチに有ったカルーセルに一人楽しそうに乗る妻との思い出をモデルにこの作品を作った。
 同じ景色が繰り返されているように見える回転木馬は、微妙に景色が変わる。その様子は人生そのものの様にも見える。同じ事を繰り返してしまう人生で、決して同じ状況には巡り会えない一期一会の人生を、回転木馬で手を振る妻に見た様な気がした。
 また、この作品は骨壺としての機能も併せ持つ。以前から、自分の死生観を形にしたいと考えていたので、これはその表現の一つである。












dimension : 200x220x490 mm
production date : April 2012
note :

僕が13歳の頃、国語の教科書に載っていた哲学者和辻哲郎氏の随筆「面とペルソナ」を読み、深い感銘を受けた。その時から、森羅万象の全ては真実とそれを覆う表面の現実との二重構造で構成されていると言う概念を持つようになった。僕の作品製作の根底に流れる概念である。そして同じ時、英語の教科書の中にあったハムレットの台詞「to be or not be.....」にも関心を持った。ハムレットの復讐と人生の憂鬱は人間の本質を垣間見ることが出来る。「面とペルソナ」の概念が、ハムレットと言うキャラクターを借りることで本作品の製作に至った。戯曲の中で、ハムレットが髑髏を手に取って「生」と「死」を皮肉る哲学的なシーンをイメージの源泉とした。